長野県茅野市の育児情報誌『ちの ママっぷ』スタッフによるブログ


by chino_mamap
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

タグ:諏訪中央病院 ( 1 ) タグの人気記事

◆パネリストのひとり、みしぇさんのブログより

いいお産を考える諏訪のつどい 1.
いいお産を考える諏訪の集い
に行ってきました。というか話してきました。

心配していた原稿の朗読時間も厳しくなかったのでよかったデス。
久しぶりにフータを取り上げてくれた助産師さんとも会えて良かったし
偶然会った中学の頃の先輩は、なんと6人目を妊娠中!
「6人はオススメしないけど、3人はオススメするよ」と言われちゃいました。

みしぇの話した内容は以下の通りデス。
お時間ある方はどうぞ♪長いので二つに分けて載せます。
みしぇ以外のパネラーの方の話も載せたいくらい面白かったです。
       
私が初めて妊娠した事に気づいたのは、4年前の秋のことでした。
その時の私の「妊娠・出産」についての知識と言えば、
内田春菊さんの「わたしたちは繁殖している」を読んでいる程度。
普通に病院へ行けば普通に出産出来ると思っていました。

そんな感じだったので、産院選びもこれといったこだわりもなく
近いし、総合病院なら何かあっても何となく安心な気がして中央病院に決めました。

ツワリは酷い吐きツワリで、終わってみれば-7キロ。
お陰で体重管理は楽でしたが、やっぱり辛かったです。
そうこうしているウチに9ヶ月に入った頃、世に言う「マタニティブルー」に突入しました。
母親学級にも参加したし、妊婦ライフもに楽しんでいるのに不安。
でも何がどう不安なのかも全く分からなくて対処のしようもない。
周りは皆「時期がくればなくなるから大丈夫」と言うけれど、
本人の不安はそんなモノでは片付かないわけです。

そんな時、不安な気持ちを書き綴ったブログを見て
「マタニティクラスへこない?」と声をかけてくれたのが
茅野にあるナチュラルケアハウス シンシアリーさんでした。
シンシアリーは看護士で産科勤務経験もある、アロマテラピストの方が
ご自宅で開かれているサロンでした。

全3回のそのマタニティクラスは、いわゆる母親学級や
ただのマッサージではありませんでした。
今ココで内容を言ってしまうとシンシアリーさんも商売上がったりなので詳しくは
話しませんが中でも妊娠中から子育てまでのバースプランの作成は、
それまで全く実感が持てなかった出産・子育てを一気に私の手の中へ引き寄せてくれました。
今までは出産の事ばかりだったのですが、育児生活まで通して考える事で
産んで育てている自分をイメージする事が出来、マタニティブルーはすっかり解消されました。

するとその日の夜。
お尻に鋭い痛みが2.3回走ったんです。
次の日の検診で予定日25日前にして子宮口が開いていたことが判明しました。
前日の痛みは子宮口が開いた痛みだったのでした。

不思議ですよね。
心の準備が出来た途端、体が反応したわけです。
この時ほど、心と体が繋がっていることを感じたことはありませんでした。

病院では「今日生まれてもおかしくない」と言われていたのですが、結局そのまま
最終的には子宮口が3cmまで開いて、19日後にその日を迎えました。

午前3時に陣痛らしきものが始まり、6時半に陣痛室に入りました。
診察してもらうと子宮口は5センチになっていましたが、まだそんなに痛みはなく
旦那と一緒にやってくる陣痛の波が可笑しくて、ケラケラ笑いながら過ごしている所へ、
1人の看護実習生さんがやってきます。
彼女とは、以前検診で会っていて、その時に「実習期間中にお産になったら付かせて
下さいね」と言われて、「いいよいいよー」と話をしていたのでした。
この巡りあわせが、私のお産を大きく変える事になります。

陣痛はシンシアリーさんのマタニティクラスで作った
アロマオイルでマッサージしてもらったりして順調に進みました。

香りって凄いです。
窓一つ無い、ベッド一つ分の、狭い、初めて入る空間で、
今まで経験した事の無い痛みとその先にある出産という未知の体験が待っているという、
普通に考えればリラックス仕様のない状態の中でも、
以前会でリラックスした事を体が覚えていて、心も体も緩めてくれて、
陣痛の間には森の中を鳥の鳴き声を聞きながら歩いている夢を見た程でした。

そのお陰で10時半には分娩台へ移ります。
全開になるまで「いきむのは我慢してね」と言われ続け、痛みよりもそれを我慢する方が
本当に辛かったのですが、分娩台へ上がっていきみ始めると痛みは消えてしまいました。
自分も凄く冷静で、陣痛のお休みの時には娘の頭が挟まったまま、
途中で入ってきた顔見知りの看護婦さんと
「こんにちわー」なんて挨拶を交わしながらの出産でした。
ホントに余裕で、この辺りに花がフワフワ浮かんでいるように感じるお産でした。
「明日また産めって言われても産める!」と本気で思いました。

そして、実習生さんの指導でカンガルーケアをさせてもらえる事になります。
娘と肌を合わせていると、体中が汗ばむくらいポカポカしてきて、
娘の顔もキレイなバラ色になって、そのまま1時間。
初めて過ごす家族3人での時間は本当に穏やかで優しい不思議な時間でした。

そしてその後、病室へ移った時に実習生さんから一つの提案を受けます。
それは「完全母子同室で完全母乳でやってみませんか?」というものでした。
聞いてみると中央病院では、いつでも連れて来ても良い事にはなっているけど、
始めは夜間の授乳がなく、新生児室に預けるやり方でした。
自分も元気だったし、とにかくやってみようと思いました。

早速、看護学校の先生もやってきてくれてオッパイを寝たままあげる方法と
オムツの替え方を教えてくれました。
やり方は簡単、娘が泣いたらオッパイをあげてオムツを見てやる。
後は一緒に寝ているだけです。

他の人はというと、時間になると授乳室へ行ってあげているようでした。
そのせいなのか、部屋で他の赤ちゃんの声が全くしないのが気になっていました。
もしお産で疲れていて、休みたくて連れてきてないのであれば
娘の声がうるさいかと思ったのです。

でも、「皆連れてきてるから大丈夫よ」と言ってもらい1日目の夜は
眠くならなかったこともあって娘と二人でユックリ過ごしました。
教えてもらった方法は凄く楽で、私は続けていけそうでした。

ところが2日目の夕食後、様子を見に来てくれた看護婦さんに、
しきりに新生児室へ預ける事を勧められ、
あなたはレポートのために利用されている、
大変なのはあなたや現場の私達だけなのだ
あなたの為には子供を預けた方がよい、、、と言われ、
ちょうど部屋の他の人の事が気になっていただけに、心が揺れます。

参りました。
表向きは「赤ちゃんは夜だって連れてきても良いし、皆そうしてる」と
言っていましたが、そういう雰囲気では無かったのでしょうね。
管理された集団の中で、1人違う行動をとる私の存在は疎ましかったようです。
実は他にも看護婦さんには色々言われていて、
それもそのせいだったのかと納得しました。
私は消灯時間になるまで悩み続けます。

離れたくない。
この子の母親は私1人しかいないのに、母親を求めて泣くことしか出来ないのに
この世に産まれて1日しかたってない子を預けて1人で寝る事なんて出来る?
10ヶ月も片時も離れずに一緒にいたのに出てきたからって離れてしまっていいわけ!?

手元の常夜灯で照らされた娘の顔を見ていたら涙がでてきました。
切なくて切なくて、いっそ病院を抜け出して家に帰ろうかと本気で考えました。

その時です。
涙をダーダー流し、嗚咽を必死でこらえている私に、
ふいに隣の人がカーテン越しに声をかけてきました。
「まぶしくて眠れないから電気消してくれない?」

衝撃でした。
私が娘と離れるのを涙を流して悩んでいる時に、隣でこの人は子供をさっさと
預け、「あー眩しくて寝れねー」と思っていたなんて!

私も彼女も同じ出産を終えたばかりの母親です。
では何が違うんでしょう。
私は娘を産んだ時、「自分は動物だったんだ!」と思った事を思い出しました。
産んだばかりの子供を他人に預け、1人さっさと寝てしまう動物なんているんでしょうか?
私と彼女たちの違い。
そうです、産後の過ごし方が違いました。
多分彼女たちも産んだ時は動物だったはずです。

でもおそらくその後、体を休めるためだと子供と引き離された事で、せっかく
出産で目覚めた動物の本能である産み・守り・育てるという力が
消えてしまったのではないのでしょうか。

怖いと思いました。
私はこの人たちとは違う。
ですがやっぱり大部屋では限界かな、と思いその晩だけ娘を預け、
体重が増えてない娘に看護婦さんの強い勧めもあって
ミルクも少し足すことにしました。

次の日、、実習生さんに簡単に昨日の夜の経緯を話しました。
すると看護学校の先生が来てくれて、初めはオッパイが出なくて体重が落ちるのは
普通のことで、でもくわえさせ続ければちゃんと出るようになるし、
それまで少しくらいなら赤ちゃんも大丈夫なんだと説明してくれました。

それって病院でやっていて「授乳後に体重を量ってみて規定の量に満たなければ
ミルクを足す」というやり方とは正反対ですよね。
でも少し考えれば、どっちが自然なやり方か一目瞭然です。
そしてラッキーな事に個室が空くというので個室に移り、
最後までこのやり方で行こうと決心しました。

個室へ移ってからは、本当に気が楽でした~。
退院する頃には初めは出なかったオッパイも、ちゃんと出るようになっていました。
一緒に頑張ってくれた実習生さんとはお互いの頑張りを称え、涙しました。

カリスマ助産師の神谷さんという方の話を以前TVで見たことがあるのですが
彼女は「助産師というのは帆走者なんだ」と言っていました。
妊娠生活を一緒に走り、隣で応援する。
このお産での私の帆走者は正にシンシアリーさんと実習生さんでした。
私は、もうここでは2度と産む事はないだろうなぁと思いました。。


2.へ続く。。。
[PR]
by chino_mamap | 2007-12-01 00:10 | 地域のイベント情報